乾卯(いぬいう)の歴史
乾卯(いぬいう)の歩み
1855年(安政2年)大阪道修町に近江屋の屋号で漢方生薬仲買商として創業
1855年大阪道修町にて近江屋の屋号にて漢方生薬仲買を商う旨「近江屋卯兵衛諸事控」に記載が残されており、これより当社の創業を1855年(安政2年)としました。
1880年(明治13年)初代 乾卯兵衛 父祖の商いを継承する
初代社長として、乾卯兵衛が父祖の商いを継承しました。
1905年(明治38年)中国満州(後に大連工場)より入荷する甘草の処理工場として難波工場開設
中国満州(後に大連工場設立)より入荷する甘草の処理工場として、難波工場を開設しました。甘草は医薬品や醤油の添加剤として使用されていました。
1911年(明治44年)蚊取り線香製造のため、堺工場を設立
蚊取り線香製造のため、堺工場を設立しました。
1913年(大正2年)中国満州に対する硫黄、硝酸の販売を目的として大連支店を開設
中国満州内での硫黄、硝酸の販売を目的として大連支店を開設しました。
1914年(大正3年)大連工場開設、甘草エキスを製造し醤油醸造用として日本に輸出
大連工場開設、甘草エキスを製造し醤油醸造用として日本に輸出を開始しました。
1916年(大正5年)天津支店開設、その後昭和20年まで中国各地に支店工場を開設
天津支店開設。その後昭和20年まで奉天、新京、ハルピン、青島など中国各地に支店工場を開設しました。※終戦とともに全資産放棄
1917年(大正6年)株式会社乾卯商店を設立
株式会社乾卯商店を設立しました。
1921年(大正10年)株式会社乾卯商店の食料品部が独立し、乾卯食料品株式会社を創立
株式会社乾卯商店の食料品部が独立し、乾卯食料品株式会社が創設されました。育児用粉乳ラクトーゲンの総発売元となりました。
1933年(昭和8年)入浴剤「オンセンス」の製造販売を開始
入浴剤「オンセンス」の製造販売を開始しました。
1934年(昭和9年)乾卯栄養化学株式会社を設立(商号変更)
乾卯栄養化学株式会社を設立(商号変更)しました。